京都で働くエンジニア社長の自戒ブログ

気づいた当たり前を、さも大事なことかのように発信します。

イーロンマスクがTwitterを買収して以来の動きを見ていて思ったこと

イーロンマスクがTwitterを買収して以来、人件費削減と人材淘汰の動きがすごいですね。 外部からCEOとして招き入れられた時の動き方として、とても参考になりました。

外部から来たカリスマ経営者という利点をフルに使って、 ビジネスモデルに始まり、社内政治を全てリセットしていく様、 それを唯一可能にするスピード感、何をとっても一流だなと思ってしまいます。

この様子を見ていて、遠くの国の出来事だと感じてしまう自分に気づいて、深ぼって見たら、結構面白い考察ができそうな気がしたので記事にして見ます。

なぜ日本企業の給与は上がらないのか?

結論から申し上げますと、日本では雇用が過剰に保護されすぎているからです。

経営者は一度雇ってしまったら基本的に従業員を解雇することは難しいです。 また基本給に関して言いますと、減給するためには、もっともな理由と経営者と従業員本人の合意が必要になります。

前者の性質ゆえ、日系企業では大した成果を上げなくても、会社にしがみついていることができ、 例えば成果を上げた従業員に対しても、他で膨らんだ人件費分があるため、十分に成果に見合った還元ができず、 成果の出せるスタープレイヤーからどんどん転職していきます。

また、後者の性質ゆえ、将来の物価変動リスクや業績悪化リスクを考慮しなくてはならないため、 すくなくとも基本給を上げることはとても難しい状態になっています。

つまり、経営者にとって人材は、必ずしも資産というだけではなく、足枷にもなりうる制度設計がなされてしまっているのです。

日系企業の生産性が低いのはなぜか?

外資系企業では、日本に比べ、従業員を解雇することが容易になっています。 この解雇は、従業員のパフォーマンスがネガティブであった場合だけでなく、 企業にとってのフォーカスが変わった場合にも行われます。

すなわち、ダイナミックに事業の拡大および縮小(ランニングフィーの削減)を行うことができるのです。 一度雇った従業員を、ずっと雇い続ける必要が無くなれば、将来のリスクは当然小さくなるので、 長期的な変動リスクを考慮せずいま高い給与を出すことができます。

そして、このような形態であれば従業員に求めるアウトプットも異なってきます。

必要なところに人材を置き、ダメであれば人を取り替えることができるので、 より専門的なスキルセットを身につけることが労働市場で有利になります。

また、専門的なスキルは、職責として独立しているので市場での流動性も高くなります。 市場での流動性が高いということは、市場性に従って労働力が配分されるため、伸びている企業に人材リソースが集中することになるということです。

一方、日系企業では、いったん役職に置いた人のパフォーマンスが芳しくなかった場合、 別の事業部に移動させたりなどして、雇用を継続する必要があります。その際、基本給の減給はできません。 このような環境下では、組織の中でどう動くべきかといった、社内政治への理解が成果に対して大きな相関があり、 ジェネラリスト的な、汎用的なスキルセットが重要になってきます。

また、専門性の高い業務では、自分の成果を定量的に計りやすいのに比べ、 汎用的なスキルセットは、定量的な成果の計測が困難になるため、 どこの会社に属していたかというブランド価値の方が重要になってきます。

すなわち日系企業では、実際に出した成果がなくとも、労働市場で評価されうるような環境になっています。 言い換えると、何をしたかよりも、どこに属していたかを重視するような構造になっているのです。 (この辺は、文春やガーシーがバズる日本の国民性を見ても理解できます。)

このような環境では、目の前の課題を解決していくことが、 労働市場での市場価値を直接的には上げないため、 生産性の向上より、いかに職歴を彩るかにフォーカスが向いてしまうのです。

これが、私の思う日系企業の生産性が低い理由です。

どのように解決していくべきか?

ここに関して明確なソリューションがあったら、こんな記事を書かずにさっさとサービス化しているので、私も色々検討しているのですが、 とりあえず上記のようなマクロな分析を、以下のようなミクロな課題に落とし込んで考えています。

  1. 経営者が、従業員のキャリアパスを設計する難易度が非常に上がってしまっている
  2. 企業の利益と従業員の利益が、互いに相関しない状況が生まれ、モチベーションを保ちにくい構造になってしまっている

私は、上記のような課題に対して、もう少し深掘りして、経営者側のバーニングニーズから現在プロダクトを構想しています。

まずは、事業成長や将来的なリスクに対して、 従業員側が負うべき責任の度合いを大きくすることによって構造的には解決可能なのではという仮説を立てています。

国の方針に関して思うこと

国を挙げてトレンドにしようとしているリスキリングに関して、一技術者として、とても批判的に見ています。

ハードスキル自体は比較的短期間に手に入れることはできると思いますが、 真の人材価値は、長期間にわたって、特定のバイアスで世界を見続けることによって得られる思考回路が本質であると思っているので、 雇用を維持したまま、リスクを負わず、中途半端なプレイヤーを量産したところで、対してインパクトはなく、 せいぜいスクール事業のマーケットサイズを拡大させる程度だろうなと思っています。

そもそもリスキリングしている人材は、価値で言えば新卒と同程度なのに、 基本給を下げることが法律上できないのは、欠陥だと思っています。

まず、リターンを得るためには、リスクテイクするという当たり前のことが根付けば、 生産性は上がるはずだと考えています。

リスクが先立つことによって、成長速度にレバレッジがかかり、本質的な人材育成が可能になると同時に、 そのリスクの種類によっては、短期的に賃金を上昇させることもできるのにと考えています。

まあ、この辺は、マクロなソリューションの話で、 スタートアップ経営者として、とにかくフォーカスすべきは、ミクロな特定の個人のバーニングニーズなので、 今日も今日とて粛々と仮説を考えてはヒアリングを繰り返していきます。

まとめ

Twitterでイーロンマスクが行っている解雇を前提とした、強制的な人材の淘汰と、成果主義への移行は、日本に住む自分としては、本当に新鮮に映ります。

もちろん背後には、辛い思いをしている人も多くいるわけで手放しで称賛するわけではないですが、 国民性として、自己責任が根付いている国では、ここまで大胆で効果的な改革ができるのかと心が躍ったことは確かです。

生産性を上げるためには、リスクテイクさせる必要があることは確かだと思うので、 そのリスクに応じて適切な報酬が分配できる社会をどうにかして作りたいなあと思っております。

イデアがあったらよければこっそり教えてください🙇

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