京都で働くエンジニア社長の自戒ブログ

気づいた当たり前を、さも大事なことかのように発信します。

哲学的真理探究の流れの自分なりまとめ(ものすごく簡素)

民主主義国家において、議論というスキルが重宝され、議論における必勝法として、プロタゴラスが、相対主義を提唱した。 相対主義的な議論によって堕落した民主主義に対し、ソクラテスは、無知の知を自覚させることにより、再び真理の探究に向けた好奇心を刺激しようとした。 ソクラテスの死を持って、相対主義により停滞していた哲学は、ゆっくりと真理の探究に向かい始めた。

時は経って、デカルトの時代。数学にも精通していたデカルトは、哲学も数学のように、数少ない公理から出発することで、人それぞれ異なるのではなく、誰にとっても正しい理論を構築したいと考えた。そして方法的懐疑を用いることで、あらゆるものを疑った結果、この疑っている自分の存在だけは疑えないと悟り、「我思う故に我あり」という言葉を残した。それを批判する形で、ヒュームは、私とは、継続された知覚の経験のことを言うのであって、それが実態と一致しているかはわからないとした。それに対してカントは、全ては経験であったとしても、数学や論理学のように、異なる経験をしていたとしても、その経験の形式は一致しているはずだとして、真理は、人間にとっての真理として存在するとした。このカントの主張に対し、ヘーゲルは、弁証法という形で、真理を戦わせていくことで、最終的に真理に辿り着くことができると説いた。一方キルケゴールは、いつ辿り着くかわからない真理よりも、私がそのために死ねると思えることを真理と呼ぶべきだと、実存主義を持って批判した。これらをまとめる形でサルトルが、自らが歴史をつくるべきではないか?とアンガージュマンたることを説いた。一方、元々サルトルと親交のあった、レヴィ=ストロースは、歴史は真理に向かって一通りに進んでいるという西洋的な見方を、構造主義によって批判した。

このような流れで、真理の範囲はどんどん狭まっていった。 その後、デューイが、便利なら真理という、プラグマティズムという考えを作り、デリダが、従来の西洋的な音声主義を批判し、本質的には意図を伝達することはできないとして、読み手主義を説いた。

デカルト以来、問われてきた「私」という存在に対し、レヴィナスは、どのような囲いを用意しても最終的に批判をしてくる存在として「他者論」をといた。

テクノロジーについて

LLMを社会実装していく流れが凄まじい。 毎日、雨後の筍のように、大小様々なサービスが生まれている。 きっとインターネットの黎明期も同じだったんだろう。 スマートフォン黎明期のおもちゃのようなアプリも同じだった。

事業を立ち上げるタイミングとして、テクノロジーの変換点がよく挙げられる。 まさに今なのだろうと感じている。

このトレンドに対して、私自身動き出すのがかなり遅れてしまった。 それは、起業してからこれまでの間に、インターネットの登場や、スマートフォンの登場といった大きな変換点に立ち会ったことがなかったからだ。

私がビジネスに関わり始めたのは、大学入学してからしばらくたった2016年くらいからで、すでに顕在化されたニーズに対してほとんどのソリューションが提供されていた。 そのため、スタートアップの鉄則としては、「顕在化されていない生活者の欲望」=「インサイト」を発見することが重要だとされていた。

ChatGPTに驚愕しながらもすぐに動き出せなかった私は、この鉄則をアンラーニングすることができていなかったからだ。

まず、テクノロジーが高度に発達したタイミングでは、参入障壁が極端に低い。 今までかかっていたコストとは比べ物にならないほどの低コストでソリューションの提供が可能になるため、既存のサービスをディスラプトすることが容易になる。 つまり、すでに顕在化されているニーズに対して、完全に新しいマーケットが生まれるのだ。まさにボーナスタイムである。

もっというと現時点でのLLMは、必ずしも大規模なデータを持っているステークホルダーにとって有利ではない。 なぜなら、GPTに対して、自社保有データを使ってファインチューニングするには相応のコストがかかるし、 エンベッディングしようにも、大量のデータをオンメモリで扱うことはできないし、文書をベクトル化してコサイン類似度を計算しようとしても、大規模なデータベースを構築することはできない。

このような状況下で、私は、「モートを作ることができないから」という理由で足踏みをしていた。 「サービスを作るのが簡単すぎる。この難易度でサービスを作っても勝てない。」これが、アンラーニングすべき考え方だ。

私は、2018年に起業しており、なんとか現在多くはないながらも利益を出すことができている。 つまり、「デフォルトで生きている企業」を率いることができている。 既存事業がキャッシュカウとなっている。 こんな後ろ盾があるのだから、失敗する可能性なんていくらでも許容できるはず。

逆に言えば、キャッシュカウを持っているのに、打席に立たないのはおかしいだろということだ。

学んだこと

今回の件で学んだことが2つある、
1つ目は、「テクノロジーによって価値は変わらない、手段が変わる」
2つ目は、起業には「手段を変えること」と「新しい価値を生み出すこと」の二つの方法がある
以上の2点だ。

テクノロジーが勃興してきたタイミングでは、主に手段が変わり、既存の価値提供の手段が変わったり、精度が上がる。 一方、テクノロジーが比較的落ち着いているタイミングでは、新しい価値を発見する必要がある。

どう考えても前者の方がわかりやすい。 しかしわかりやすければ、とうぜん競合も多くなる。ここが頭の捻りどころなのである。

会社をやっていて思ったのは、信用とは何にも変え難い資産なのだということである。 王道の戦略を貫くには、「信用」が何よりも重要で、その次に「カネ」である。

何が言いたいかというと、やっとLLMの波に真っ向から乗っていく覚悟ができたということ。 私は、信用を駆動して、王道を行ってみる。 その際重要なのは、手段ではなく、価値を見極めることである。

価値は、本質的な目的に近いところから始まる。 企業の短期的な目的は、売上を上げることである。

2022年に得たもの

本日、正確には昨日の12/29が仕事納めでした。 たった今、緊急の対応が必要になってオフィスに戻ったのですが、単純な設定の問題だったようで簡単な対応を終えた後、このまま帰るのもなあと思ってブログを書くことにしました。 多分誰も他人の年末の振り返りになど興味はないと思うので、あくまでも自分のために記録を残しておこうと思います。自分にはことあるごとに読み返してほしい。

2022年は自分にとって、本当に、とても歯がゆい年でした。

自分の会社には、初期にジョインしてくれた本当に頼り甲斐のあるマネージャーがいて、 その人が在職している時、自分はずっとコーディングに集中させてもらっていました。 2021年の6月にそのマネージャーが退職をすることになり、突如、マネジメント業務を自分自身で行う必要性が生まれました。 本当にどうしたらいいかわからず、これまでどれだけその人に甘えてしまっていたのかと実感すると同時に、 自分は経営者ながら、これまで経営というものに全く向き合っておらず、そもそも興味もなく、 単にコードを書いていただけだったんだなと思い知らされました。

やべえなんとかしようと、今はLayerXですが、当時DMMのCTOを務めていた松本勇気さんのブログを読んで、 そこで勧められていたアンドリュー・グローブの「HIGH OUTPUT MANAGEMENT」を買い、 自分なりの理想の経営者像を描き、経営者のように振る舞い始めました。

当初は、本当に課題だらけでがむしゃらに走るしかなかったのですが、 他に選択肢がないというビギナーズラックと、本当に優秀で熱いメンバーに恵まれ、 数ヶ月でそこそこうまく事業を軌道に乗せることができました。

そのままの勢いで、2021年の年末に単月黒字を達成します。 そこからは、順調に売り上げも伸び続け、少しだけ余裕が生まれ、自分に根拠のない自信がついて、 社員さんやインターン生に「おれ絶対成功する、だから安心してついてきて」みたいなことをよく言っていました。 これが、確か2月か3月くらいのことでした。

自分が今事業を展開しているドメインは宿泊業なのですが、創業当初から完全にコロナの煽りを受けまくっていました。 正直、3月くらいのタイミングでは、コロナの終息がいつになるのか全く見えない状態で、 作り上げたプロダクトも単月黒字を達成したとはいえ、一つ目のPMFを達成した程度だったので、 収益性をもっと上げていく方法を検討する必要がありました。 2021年7月以降、がむしゃらに走りはじめてから、初めて自分の前に選べる選択肢が現れました。

「待っていた時がきた!」と、有能感に包まれていた自分は、ウキウキしながら、あらゆる選択肢を検討し始めました。 既存プロダクトからtoCに寄せたプロダクトを作る選択肢、 既存プロダクトと同一ドメインで周辺領域を深く掘り、バーティカルSaaSを作る選択肢、 既存プロダクトをキャッシュエンジンとして得たランウェイで新規プロダクトを作る選択肢、などなど。

学生時代に働いていた前職では、R&D専門の受託開発をしており、月に2本程度アプリケーションを実装するのが常だったので、開発力には大きな自信がありました。 アイデアを思いつけばすぐに作れるからと、新規に事業計画を考え続け、幾つのプロダクトアイデアを作ったかわからないほどです。 しかし、結果的に、2022年のうちに一つもプロダクト化しませんでした。

そんな僕を傍目に、チームのメンバーは既存プロダクトの課題に真正面から向き合ってくれており、 改善を繰り返すことで、毎月毎月売り上げを順調に積み重ねてくれました。 プロダクトもエンジニアが献身的に機能改善を行ってくれて、どんどん使いやすく魅力的になっていきました。

「みんなこんなに献身的に結果を出してくれているのに、全然自分は成果を出せていない、経営者としてのバリューを全く発揮できていない。」 今思えば素直にそう思えるのですが、この時はその問題に深く向き合うことを避け、ただただ盲目的に自分を信じて次のプロダクトに集中し続けていました。

本当にチームのメンバーに感謝するしかないのですが、事業は伸び続けていたので、誰も知る由もないことですが、正直、今年の6月くらいから自分のプライドはズタズタでした。 心から「おれ絶対成功する、だからついてきて」と言っていた言葉は、いつしか自分に向けての言葉になり、すがるように発するようになっていきました。 8月の誕生日に彼女から何が欲しいか聞かれた時「欲しいものはないから、誕生日はSaaSイデアの壁打ち相手になって欲しい」と言っていたほどに毎日追い込まれていました。

このままだときっとこの大切なメンバーに愛想をつかれてしまうと、日々不安を抱えながら、 ああでもないこうでもないと、ただひたすらに逆転ホームランを起こせる新しいビッグアイデアを待ち続けていました。


これを書いていて、ふと高校時代のことを思い出しました。 自分には2つ上の姉がいるのですが、姉は高校に入ってからカフェで勉強をするようになり、家で勉強する姿をみることはなくなりました。 自分は、姉がカフェで勉強をしていることを知らなかったので、高校に入ったら勉強をしなくていいのかとマジで思い込み、 本当に高校の最初の2年間は勉強をせずに、ただ部活だけをして過ごしていました。 高校に入ってからの成績はクソみたいなものでしたが、そもそも全く勉強していなかったので特に気にしていませんでした。

高校2年の末に、親を含めた三者面談での進路指導があり、自分はその存在を全く覚えておらず、すっぽかしたので、結果的に親と担任の先生との二者面談になりました。 (これはいまだに全く覚えてないです。なんか姉の結婚式の時に親に言われて、え、普通に自分クズじゃんと思いました。親の語り草を見るに、多分この後親にしこたま叱られたはずですが、その記憶も全くないです。) 自分の親も高校教師で、担任の先生とも顔見知りだったことから、その場で担任に厳しく指導してほしいと頼んだのかはわかりませんが、後日、担任から進路指導で呼び出され二者面談を行うことになりました。 それまで自分は本当に勉強をしていなかったので、学校の成績を全く当てにしておらず、自分のことをマジで頭がいいと思っていました。 しかし、その場で担任の先生から「このままだと行ける学校ないよ」と告げられます。 プライドが高かった自分は「いやいや、それはねえわ、ふざけんな」と、とりあえず志望校を誰にも相談せずに東大に決めて、 基本的には学校の授業に出るのをやめ、学校の自習室にこもるか、授業に出ても授業を無視して問題集を解き続けました。 自分が通っていたのは公立高校だし、記憶の通りだとなんで卒業できたのかマジでわからないですが、この授業でないと卒業できないと言われた覚えもないので、多分ギリ授業はでていたのだと思います。

そんな感じで、半年ほど死ぬ気で勉強した結果、夏の東大模試でB判定を取りました。(ちなみにネタバレしておくと、この判定の得点源はほぼ数学でした。そう、運です。) そこで完全に気が抜けました。「ああ、自分やっぱ天才だったわ。絶対東大受かる。」以降、ノリで勉強をした結果。普通に落ちました。 この、ノリで勉強をしたというのは、自分の苦手分野だった英語や、東大受験で特に注力すべき理系科目をやらず、 単純に楽しいからという理由で、数学の難問と物理の微積を使った問題集ばかりをやっていたということです。 京都大学を受ける友人に数学でマウントを取るのを生き甲斐にしていました。(ちなみに彼は現役で京大に受かりました。)

落ちて、引きこもっていた自分は、地元の予備校にギリ特待生みたいな形で受け入れてもらいました。 予備校に入ってからも、プライドゆえ自分のスタンスを曲げずに、落ちたのは学習量が足りなかったからだと、あまり授業を聞かず、難しい問題集をやりまくっていました。 結果、めちゃくちゃ問題集をやったのに、春から夏にかけてクソほど成績が落ちました。なんなら夏の東大模試の判定もDとかに落ちた気がします。

メンタルがボロボロの状態で迎えた夏、ああ、もう自分の能力を過信するのはやめようと、徹底的に模試の結果と、予備校の先生のFBに向き合う決意を固めました。 それからは、とにかく予備校の授業の予習と復習だけをやりまくりました。新しい問題ではないので、全然面白くないのですが、とにかく無思考で解けるくらいまで予備校の問題をやり続けました。

そしたら笑っちゃうくらい成績が伸びました。 それでも当時は必死すぎて成績の伸びに全く気づきませんでした。 予備校の先生が「すごく成績が伸びてきたね」と言ってきても、 まだ満点を取れていないのに何をいっているんだ?こんな状態で受かるわけないだろ? と本気で思っていました。

試験当日、数学と国語を終えた、初日の帰り道、思ったより解けすぎて、泣きながら帰りました。 二日目、理科科目が終わった段階で、最終の英語の試験が始まる前に合格を確信していました。

帰ってからした自己採点は、自分に厳しすぎて渋かったのですが、 結果的には、かなり得点的に余裕をもって合格できました。 (二次試験は440点満点なのですが、自己採点と開示された得点の差が150点くらいありました。)


これまでこの受験期の成功体験は、僕の中で「ベストプラクティスに従うと結果が出る」と言語化していました。
だから、ビジネスで、経営者として窮地に陥っていた自分は、一旦自分の考えを捨て、なんらかの教科書に沿うことでこの泥沼から抜け出せるのではないかと考えていました。 従うべきベストプラクティスが見つかれば、きっと自分の考え方は変わって、全てが好転して、想像もできない成果を挙げられるはずだ。 とにかく本を読み漁ります。毎日のようにいろんなジャンルの本を買って読み、実践する。

少し考えれば当然なのですが、これで結果は出ません。 もしベストプラクティスがあるなら、一般的に起業の成功確率が低すぎます。 ビジネスは、変化する市場環境の中で行われており、あらゆる成功例は、特定のタイミングでの特定のドメインでの成功例であり、 完璧にトレースしても、再現性は高くありません。

ああ、どうしたらいいだろうと、ふと自分のSlackの日報チャンネルを見ていると、 日々、挙げているtodoがほとんど終わっていないことに気づきました。

「あれ、俺プロダクトを作ることをやりきれていない以前に、そもそも朝自分で定義したタスクすらやり切れてなくね?」

多分、ずっと気づいていて、見て見ぬふりをしていた問題に気がつきました。

目標から逆算して設定しているタスクをこなさない限り、 前進できないことは当然なのに、なぜタスクをこなしていないのか? 少し考えて、出した答えは単純でした。

設定している一つ一つのタスクのハードルが高すぎる。

自分は自分の能力を高く見積りすぎていて、常に完璧で理想的なアウトプットを自分に要求していた。 だから、最初の一歩を踏み出すことができずに、全部中途半端になっていた。

そして受験期の成功体験の言語化が誤っている可能性が浮かんできました。 受験期の成功体験は、「ベストプラクティスに従ったこと」ではなく、 「自分自身の能力を客観的に計測し続けていたこと」にあったのではないか。

「自分の能力は、自分が期待していたほど高くはない」

そう結論づけてから、不思議とすごく自信がつきました。

あらゆる目標は、アクションを積み上げることによって達成できる。 その一つ一つのアクションの難易度は、前進しているのであれば必ずしも高い必要はなく、自分でコントロールするべきもの。 どれだけ高い目標であっても、適切な難易度のアクションに切り分け、前進し続けることができれば、必ず実現することができる。

つまり重要なのは、自分自身の能力をできるだけ客観的に評価・計測し、認識し、 自分が実行できるアクション・こなせるタスクに関する解像度を上げていくこと。

現実と真正面から向き合って、理想状態とのギャップを認識し、 そのギャップを埋めていけるように実現可能なアクションを定義する。 それを積み重ねれば、絶対に目標を達成することができる。

人生もそう、会社もそう。 自分の人生の、全ての失敗は、自分や認めたくない現実と、真正面から向き合わないことによって起きている。

完璧な能力はないし、それゆえ完璧な事業計画もなければ、完璧な戦略もない。 自分に実現可能なアクションを通して、結果的に理想に近づけていくしかない。 重要なのは、現実をありのままに受け入れて、次に進むためのアクションを定義して一歩ずつ進むこと。 最初から完璧である必要はなく、人間の能力と時間は有限だからふつうに無理。 アクションによって、一歩ずつ着実に完璧に近づいていけばいい。

これまでの自分の特性は、

おそらく初期の学習曲線が急勾配で、最初はビギナーズラックで比較的成功する。そして調子にのる。 その後、しばらく停滞したあとに、反省して自分と向き合い、最初のやり方を改めることによって、再度成長曲線を描く。

ここでいう反省とは、自分と現実を客観的に評価・計測すること。 これは字面から感じることより遥かにきつくて難しいです。 ただ、こんなに大きくて豊かな発見は人生でそうあるものではありません。

迷った時や初心を忘れた時に読み返せるように、長めの記事にしました。

将来またスランプに陥った自分へ、

今自分への期待値が高すぎるよ。
お前、そんなに大したやつじゃないよ。
まずは目を背けている事実と向き合って、
実現したい目標を決めて一歩ずつ進もう。
まずはちっさい、格好悪いアウトプットを、
必ず決めた時間内にしよう。

2022年は、大学に入って以来、10年くらいなんだかずっと虚勢を張っていた自分を解放してあげるための年でした。 願わくば、現実を正しく受け入れることの価値を、これからの人生で一瞬も忘れないようにしたいです。

P.S.
もう一つだけ、今年得た大きな発見を
「自分と異なる意見だったとしても、相手にとってはそれが事実である」
コミュニケーションにおいて説得は不毛。まず相手の意見を事実として受け止めて、深く解釈する。

計測の意義

事業拡大に伴って、採用計画を考えていたのですが、 その中で計測に対するインサイトが得られたので書き留めておきます。

大変ありがたいことに、弊社で運営しているサービスを利用してくださっている施設様の数が増えてきました。 同時に、イレギュラーな問い合わせの件数が増えてきており、緊急度が低いが重要な業務に工数を割くことが難しくなってきたと感じていました。 そんな中、来期の予算計画を立てるため、どの業務に、どの程度の工数を割いているかの実態を把握し、業務上のボトルネックを特定するため、 1週間ビジネスサイドのメンバーが何にどの程度時間を割いているのかを記録してみました。

結果として、この施策は想定以上の効果を発揮しました。

まず前提として、現時点でメンバーの数はまだまだ少ないため、ビジネスサイドのメンバーで積極的な分業は進めておらず、マーケ・セールス・カスタマーサクセスを全員で行っています。 元々の予定では、何%の稼働をどの業務にどの程度振り分けるべきかを決定するために上記の分析を行っていたのですが、データの取得をしたことによって、至極当たり前の事実に気づくことができました。

それは、新規顧客獲得は1顧客あたりの獲得コストを変数とするため、工数の増減はこちらの都合でコントロールできるが、 既存顧客の維持コストは、すでに獲得している顧客数を変数とするため、工数のコントロールは難しいということです。

つまり、「何割の稼働をセールスに割くべきか?」という問いの立て方自体が間違っており、 正しくは、「チャーンレートを1%未満に抑えるためには、カスタマーサクセスの工数は顧客当たりでどの程度必要になるのか?」であるということに気付きました。

最近の問い合わせ件数の増加は、導入施設数に相関しており、月当たりの新規獲得施設数とは無関係であることは考えれば至極当然なのに、 なぜか最終的なゴールとして、最適なセールスとカスタマーサクセスのアクションの比率を導こうとしてしまっていました。

結果的にビジネスサイドで行われている業務を、

  • 既存資産に相関するアンコントローラブルな業務
  • 余剰工数を投下するコントローラブルな業務

以上二つに分解して設計する必要があるということがわかり、 比率ではなく、維持コストの具体化と、最適な余剰工数投下量を探しましょうというネクストアクションを定義して、今日の会議は終わりました。

これらは全て、初期の計測意図とは基本的には無関係に得られた知見です。

計測の意義について

さて、本題に戻って、計測に関して得られたインサイト言語化していきます。

僕が認識していなかった計測の意義の一つは、あえて情報を落とすことです。
連続的に認識していた現象を、ある程度の大きさに区切ることで、現象の複雑性を下げることができます。 複雑性を下げてモデル化した結果、現実を定量データとして計測できるようになります。
詳細を無視することで、質的データを量的データとして認識できるようになるということです。

こうして得られた数値情報に対する定性分析を通して、量的な数値に対する説明変数を考えた結果、 これまで混同していた業務の発生要因が明確に異なっていたことに気づきました。

情報を落とした結果、新しい知見が得られたのです。

この体験を通して、計測に関して、実施前の設計段階ですでに大きな価値を持っていることを学びました。 解像度を高めるには、ミクロとマクロ、具体と抽象を何度も往復する必要がある。 言語化してみると至極当たり前ですが、やはり身をもって体感すると全然違いますね。

最後にこの知識を使いやすくするために、一言でまとめて締めたいと思います。

情報を制限して同質化することで、新たに得られる情報がある。

参考になれば幸いです。 それでは良い週末を〜〜

複雑系と単純系の話

僕は高校時代物理が好きでした。
とにかく世界を単純化することで心理を解き明かしていくという哲学が、とてもかっこよく写りました。

一方で、世界は単純なはずという価値観を持ってしまったせいで、結構苦労しました。 現実世界は複雑系で、全てを理解しようとすることは間違ったスタンスでした。

単純系で世界を捉えたときは、真理のような絶対の解を見出すことを目的にするのですが、 アカデミックの世界で優等生ではなかったですが、曲がりなりにも生粋の理系男子として生きてきた自分は、ビジネスに対しても同様のスタンスで臨んでいました。

ビジネスの世界にも絶対の正解があるはずで、その心理に到達したら、全ての謎が解けると。 しかし、今思うことは、世の中は真理で動いているというより、基本的には因果で動いているということです。

今身近にあるビジネスの全ては、心理をもとにしたものというよりは、因果の帰結として存在しています。

もし、ビジネスの世界に真理が存在していたら、スタートアップの介入余地などありません。 あらゆるものに栄枯盛衰があり、それは未来から見たら当然にみえるものです。
一方で未来は不確実なものなので、現時点を到達点だと認識してしまう。
それは、バイアスとなり、アイデアのタネを奪っていきます。

ビジネスとは、複雑系の中で、その一部の現時点でのベストプラクティスをなんとか探り出し一時的にサービスとして提供するものです。 だから、ビジネスに正解はなく、どんなに成功している企業も最初は不確実性の塊だったはずです。

スタートアップにとって、ターゲットを絞ること、ニッチマーケットから攻めることという原則は、 マーケティング効率の観点ももちろんですが、扱う系の複雑性を下げるという観点からも納得がいきます。

なんとなくで書き出してしまいましたが、要は何が言いたいかというと、
ビジネスという複雑系の中での成功可否は、因果律によってしか検証できないので、いつまでもうじうじせずにさっさと行動しないとなという自戒を文章にしておきたかったという感じです。

せっかく今日は土曜日で、夜更かしができるので、 週明けのアクションをしっかり考えていこうと思います。

スキルとはなんなのか?

経営者という立場で、同世代の平均よりは、色々な人との採用面談をこなしてきました。 多くの人が、スキルアップ、キャリアアップを求めて転職活動を行っています。

「自分は将来こんなことがやりたいから、スキルが欲しくて、転職を希望しています。」

このスキルとは何を指すのだろうかとずっと考えていました。
将来やりたいことができるようになるスキルとは何を指すのでしょうか。

自分は大学時代、スキルが欲しくてプログラミングを始めました。
スキルのない自分に価値を見出すことができなかったからです。

自分はこういう人間で、価値があるんだよと誰かに伝える必要がある時にハードスキルはとても便利でした。
時世的にもプログラミングは非常に高付加価値だったので、これまで自分に見向きもしなかった大人たちが興味を持ってくれるようになりました。

卒業間近のタイミングでは、結構なプログラミングスキルがついていたので、本当に引くて数多で、特に就活はしませんでしたが自分を誘ってくれる企業は多くありました。
自分の有能性を信じて疑わず、絶対に成功することを確信して起業しました。

起業してから分かったことは、ハードスキルとは、
人に使われやすい汎用スキルであり、多くあるスキルの中の一種でしかないということでした。

確かにプログラミングスキルは、わかりやすく手元で動く物を作ることができるのでとても重宝しています。
しかし、物を作れるということと、ビジネスという文脈でサービスを作るということは全く別物です。

学生時代、すでに起業していた友人が「起業してから自分は成長してできることが増えてきた」と話している時、
全く理解ができず議論(けんか)になったことを覚えています。

当時の自分は、「成長」とは、誰の目からも明らかな客観的なものだと認識しており、
不確実性の伴う、唯一解ではない経験知を成長であるとは理解し難かったのです。

自分は、起業した当初に比べて、より自分と会社の将来的な成功を確信していますが、
それにもっとも影響を及ぼしているものは、努力して身につけたハードスキルではなく、泥臭い経験です。

経験知とは、将来起こりうる可能性を予想するスキルです。
前後の文脈を含め、生き生きとした知識は、似たような予兆から精度高く近く起こるミクロな変化を予想することができます。
経験は内省を重ねることで、唯一解のない選択に対しより良い意思決定を行える確率を高めてくれます。

今の自分が感じる成長は、必ずしも正解のない問題に対して、
比較的良い選択肢を選ぶことができるという自信だと言い換えることができます。

ここで最初の問いに戻りますが、
「やりたいことができるようになるスキル」とは、意思決定のスキルだと考えています。

自信をもって言えることですが、やりたいことを実現できるかどうかは、意思決定の精度が最も大きな変数になります。
ハードスキルは、金を払えば手に入れることができますが、意思決定に関しては、誰も確かな未来を知ることはできないという点で、自分にしかできないこと(=ユニークスキル・個性)です。

誰かの意見に従うというのも、一つの意思決定ですが、精度は保証できないし、 ハードシングスに当たった時に確信度が低くなるリスクがあるように感じます。

ハードスキルは持っている・いないの二値で判断が可能ですが、意思決定は精度で表現されるスキルでありその精度は測ることができません。
学生時代の自分は、この曖昧なスキルを理解できませんでしたし、評価することができませんでした。

自分は「歴史を学ぶ」ということをとても重視していますが、 これは極端な複雑系である世界で、どのような意思決定や思惑が、どんな帰結に結びついたかを知れる手段だからです。

ここまで書いてきた結論として、将来なにかをするためにスキルを得たいのであれば、 リスクをとって、意思決定を行える環境を選ぶしかないというのが書きたかったことです。

以上です!

0→1、1→10、10→100の話

しばらくSaaSビジネスを展開してきて、
事業フェーズに関して0→1, 1→10, 10→100という分け方を目にします。

この分け方は、現時点での自分にとって、それぞれのフェーズで行われるゲームのルールによる分け方だと認識しているのですが、 現時点での自分の経験上、それぞれのルールはどんなものなのか軽くまとめておきたいと思います。

0→1のルール

このフェーズでは、ユニットエコノミクスを成立させるというゲームをしています。
価値を提供し対価を得られる、最小単位のユニットでの検証を素早く行います。

この時点で明らかになっていないことは、順に、

  • プロダクトが解決しようとしている課題が存在しているかどうか?
  • 課題に対して、提供したソリューションはマッチしているか?
  • プロダクトに対してお客様はお金を払ってくれるか?

です。
とにかく、この時点では収益性もクソもないですが、 このフェーズを超えないことには、そもそもビジネスが成立しません。
この時点では、死ぬほど失敗して心が折れまくり、 採用によって誰かにリーダーシップを握って欲しくなりますが、絶対に採用に手を出してはいけません。
偽りのなんか進んでる感に囚われると同時に、ランニングコストが上がり、最も重要な試行回数を減らしてしまうことになります。

このフェーズの主役は、Tech人材とプロダクトです。

1→10のルール

このフェーズでは、0→1が一通り落ち着き、 お客様がお金を払ってくれるプロダクトが存在している状態になります。 この時点で行うのは、コストに対する収益性を向上させるゲームです。

この時点で会社内のチームは、 新規売上を積み上げる「マーケティング部門」と、 既存売り上げを維持する「カスタマーサクセス部門」に分かれ、 それぞれ、目的ごとのナレッジを積み上げることで、人材一人当たりのパフォーマンスを向上していきます。

このゲームの開始時点では、すでに収益構造が出来上がっているはずで、 それはコストを投下した分だけ利益を産む環状構造で図式化できるはずです。

この環状構造の図式の中で、ボトルネックを探し、リソースを投下して、 うまく血流を流していく方法を見つけることでゲームに勝っていくことができます。

マーケティングチャネルとカスタマーサクセスの定義は、 プロダクトごとに違うので、泥臭く勝ちパターンを見出していく必要があります。

このフェーズでは、ボトルネックに対して、適切に人的リソースを採用しつつ、 一人当たりの生産性を高めていく必要があります。

このフェーズの主役は、Biz人材になってくるかと思います。

10→100のルール

このフェーズでは、費用対効果のよい、マーケティング上の勝ちパターンを手に入れつつ、 お客様に価値を届けることができていて、チャーンを防げている状態になります。

この時点で行うのは、徐々にマーケティングのROIが合わなくなってくるので、 既存リソースをモートとして、新規に事業を立ち上げ、競争優位性を強固にしていくゲームです。

実際、自分はまだこのフェーズまで辿り着いていないので解像度が低いのですが、 すでに成立しているビジネスモデルに対して、人材を大量に採用しつつ、 既存のアセットから新たな金脈を見つけていくことが勝ち筋になります。

僕は、このフェーズで最もレバレッジが効くのがCreative人材だと思っています。

BTCの人材の定義

文中で触れた人材特性の定義についてです。 Biz、Tech、Creativeに関して以下のような特性がある・または持つべきと考えています。

Biz

収益向上サイクルをぶん回す能力者。
エンジンは金。金から金を生み出す。

Tech

課題のソリューションを資産化する能力者。
エンジンは課題。課題からプロダクトを生み出す。

Creative

お金以外の資産から新しい価値を生み出す能力者。
エンジンは既存の資産。既存の資産から新しい価値を生み出す。

結局何が言いたいのか?

ここ最近、どんな人材を雇うべきなのかに関して、ずっと考えていました。 特に、0→1のフェーズに比べて、1→10では何が変わったかを考えていたのですが、 それは「金を生み出すために、金を使えるようになったこと」だよなと思うに至りました。

自分はゴリゴリにTech系の人材だったので、経営者として変容しなければならないと思うと同時に、 金を使って金を生み出すことに秀でた人を採用する必要があるよなと思ったという話でした。