京都で働くエンジニア社長の自戒ブログ

気づいた当たり前を、さも大事なことかのように発信します。

人生で最も重視する財産について

人生の中で、なんとなく地に足がついていないような、なんとも言えない不安感を最近は感じなくなってきました。 強いて言えば、公共料金の支払いが遅れていて、もしかしてそろそろ電気が止まるんじゃないかというときには感じます。

世界を語る言葉を持ったこと

私の精神を安定させるために、とても重要だったのは、 自分の身の回りの状況を語れるだけの歴史を手に入れたことがとても大きかったと感じています。

なぜこうなっているのだろうと疑問に思うたびに、その来歴を歴史から探る癖がつきました。

歴史的な知識を多くつけるたびに、現在おきていることを頭の中にある前提知識から理解できるようになり、解像度が上がってきた気がします。 もちろん知らないことだらけではあるのですが、調べるとっかかりが頭の中にあることで、時間をかければわかるというマインドが出来上がりました。

そして、時間の流れは連続的なものであるので、 未来に関して、どうなるのか全く予想がつかないという状態から、マクロなトレンドに沿って、短期的にもいくつか仮説が立てられるようになりました。

すると見るべき時間軸が数ヶ月という短期スパンから、より長期的になり、 日々目に入ってくる情報から一歩引いて、着実に資産を築き上げていこうという気になりました。

ミクロな時間感覚では悲観的に、マクロな時間感覚では楽観的に振る舞えるようになり、 いわゆる目の前の本質的なことにじっくりと取り組めるようになりました。

一度どん底を味わうこと

私のこれまでの人生には、まだそこまで大きなどん底はないかもしれないですが、 受験期に一度の浪人と、起業してからは2年間の赤字を経験しました。

そのどちらも運良く再起を果たすことができ、 着実に目の前の課題をこなすことで、望ましくない状況から抜け出すことができるという成功体験を得ることができました。

「処してきた課題の大きさが、人間の大きさである」は、 DeNAの南場さんが、著書「不恰好経営」のなかで、お父様の言葉として紹介していた言葉です。

この言葉はとても刺激的で、現時点での自分は、 少なくとも自分の身の回りのことを自分の力でなんとかできるようにはなったと感じています。

これから、より大きな課題が目の前に降ってきた時も、それを処した後の自分を想像して、 ポジティブに取り組んでいけるだろうと感じています。

まとめ

私が人生の中で、最も重視して得るべきと考えていることは以上の二つです。

  1. 世界を語るための言葉を得ること
  2. 目の前に立ち現れる課題を処した成功体験を積み上げること

この二つは、何にも変え難い財産であり、自分を肯定するための根拠です。

さて、明日から週末が始まります。今週買った本を読めるのが今から楽しみです。 良い週末を!

カオスから秩序を見出すための思考のフレームワーク

ソフトウェアの世界でも、ビジネスの世界でも色々なフレームワークが存在しています。 その全てに共通していることは、複雑な物事をシンプルに理解できるようにするということです。

特定の再現性のある事象に対して、主要因をあらかじめ抽出し、解釈するためのフレーム化しておくことで、 カオスをカオスのまま扱うのではなく、制御可能な事象として扱うことができるという価値を提供するものがフレームワークです。

今回は自分的に再現性があって有用だなと思う思考のフレームワークができたので、 自分用の備忘録として書き留めておきたいと思います。

直近で課題だったこと

私は、SaaS企業を経営しているのですが、 ちょうど、競合が上場承認されたタイミングで、目論見書が公開されていたので、色々な数値が非常に明瞭に示されていました。 この資料が非常に有意義であることはわかるのですが、数字があまりにも具体的であったために、 私の会社との比較をかなり詳細に行うことができてしまい、逆にどのように事業に活かせばいいかが曖昧な状態になっていました。 サプライチェーンを分析してみたり、チームごとのKPIを設定してみたりといろいろやったのですが、どうもしっくりこず悩んでいました。

そこで、一旦、目の前の目論見書を手放し、課題の抽象度を上げるというアプローチをすることにしました。

ボトルネックを発見するフレームワーク

ビジネスとは、突き詰めれば、「売上 - コスト = 利益」であり、売上を最大化しつつ、コストを最小化するゲームです。 この本質から分析を進めることにしました。

売上、コストのそれぞれを構造化して分解、 その後、コストと売上の要因をつなぎ、要因の責任を担うべき職責を定義しました。

すると驚くほどすっきりと、自社が利益をあげられるロジックが浮かび上がり、 先にあげた、目論見書によってどの程度のパフォーマンスを出すと、どこまで伸びうるのかが見えるようになりました。

ビジネスの分析フレームワーク

さて、タイトルにあげた「カオスから秩序を見出すための思考のフレームワーク」ですが、 以下の方法でまとめることができるかと思います。

  1. 目的を抽出する(今回の場合は、利益を最大化すること。この際目的が曖昧なのであれば、そもそも課題設定が間違っているので、目的の定義を行う。)
  2. 目的の説明変数を抽出する
  3. 説明変数を制御可能になるまで分解する
  4. 分解した変数同士を、関係性がわかるように並べ替える
  5. 並び替えて、関係性が明らかになった変数のうち、コントローラブルな関係性(コストをかけたら伸ばすことができる)を見出す

以上のようにならべかえたら、あとは現時点でボトルネックになっている部分をどのように改善するかを考えていけば良いです。

書いて終えば至極当然なのですが、 論理的に考えようとした時、人間のワーキングメモリは対して大きくないことは結構忘れがちなので、 まずエントロピーを下げ切ってから、徐々に具体性を上げていくというアプローチがとても有用でした。

文章で伝えるとわかりにくいですが、とにかく単一の目的をその説明変数に分解していくことで、 一度に考えるべき範囲が少なくなり、ワーキングメモリを節約できるので、クリティカルな戦略を考えることができるよという話でした。

マネジメントや経営とは、事象の複雑性を下げ、リソースを適切に配置することだと考えているので、 上記のようなアプローチは、管理職において汎用的に使うことができそうだなと考えています。

目新しいことは特にないですが、やはり身をもって体感した成功体験は、身につきやすいものだなと感じており、この経験をより強固にするために記事にまとめてみました。

具体例を挙げられていないので、誰かに読んでもらう形にはなっておらず恐縮ですが、 手がつけられないほど複雑だと感じた時は、とにかくシンプルにして、スコープを区切ってみると良さそう程度でも伝われば幸いです。

以上です〜〜。

P.S. 2日空けただけで、結構文章書くの大変になっていたので、本当に継続って重要だと感じました。

イーロンマスクがTwitterを買収して以来の動きを見ていて思ったこと

イーロンマスクがTwitterを買収して以来、人件費削減と人材淘汰の動きがすごいですね。 外部からCEOとして招き入れられた時の動き方として、とても参考になりました。

外部から来たカリスマ経営者という利点をフルに使って、 ビジネスモデルに始まり、社内政治を全てリセットしていく様、 それを唯一可能にするスピード感、何をとっても一流だなと思ってしまいます。

この様子を見ていて、遠くの国の出来事だと感じてしまう自分に気づいて、深ぼって見たら、結構面白い考察ができそうな気がしたので記事にして見ます。

なぜ日本企業の給与は上がらないのか?

結論から申し上げますと、日本では雇用が過剰に保護されすぎているからです。

経営者は一度雇ってしまったら基本的に従業員を解雇することは難しいです。 また基本給に関して言いますと、減給するためには、もっともな理由と経営者と従業員本人の合意が必要になります。

前者の性質ゆえ、日系企業では大した成果を上げなくても、会社にしがみついていることができ、 例えば成果を上げた従業員に対しても、他で膨らんだ人件費分があるため、十分に成果に見合った還元ができず、 成果の出せるスタープレイヤーからどんどん転職していきます。

また、後者の性質ゆえ、将来の物価変動リスクや業績悪化リスクを考慮しなくてはならないため、 すくなくとも基本給を上げることはとても難しい状態になっています。

つまり、経営者にとって人材は、必ずしも資産というだけではなく、足枷にもなりうる制度設計がなされてしまっているのです。

日系企業の生産性が低いのはなぜか?

外資系企業では、日本に比べ、従業員を解雇することが容易になっています。 この解雇は、従業員のパフォーマンスがネガティブであった場合だけでなく、 企業にとってのフォーカスが変わった場合にも行われます。

すなわち、ダイナミックに事業の拡大および縮小(ランニングフィーの削減)を行うことができるのです。 一度雇った従業員を、ずっと雇い続ける必要が無くなれば、将来のリスクは当然小さくなるので、 長期的な変動リスクを考慮せずいま高い給与を出すことができます。

そして、このような形態であれば従業員に求めるアウトプットも異なってきます。

必要なところに人材を置き、ダメであれば人を取り替えることができるので、 より専門的なスキルセットを身につけることが労働市場で有利になります。

また、専門的なスキルは、職責として独立しているので市場での流動性も高くなります。 市場での流動性が高いということは、市場性に従って労働力が配分されるため、伸びている企業に人材リソースが集中することになるということです。

一方、日系企業では、いったん役職に置いた人のパフォーマンスが芳しくなかった場合、 別の事業部に移動させたりなどして、雇用を継続する必要があります。その際、基本給の減給はできません。 このような環境下では、組織の中でどう動くべきかといった、社内政治への理解が成果に対して大きな相関があり、 ジェネラリスト的な、汎用的なスキルセットが重要になってきます。

また、専門性の高い業務では、自分の成果を定量的に計りやすいのに比べ、 汎用的なスキルセットは、定量的な成果の計測が困難になるため、 どこの会社に属していたかというブランド価値の方が重要になってきます。

すなわち日系企業では、実際に出した成果がなくとも、労働市場で評価されうるような環境になっています。 言い換えると、何をしたかよりも、どこに属していたかを重視するような構造になっているのです。 (この辺は、文春やガーシーがバズる日本の国民性を見ても理解できます。)

このような環境では、目の前の課題を解決していくことが、 労働市場での市場価値を直接的には上げないため、 生産性の向上より、いかに職歴を彩るかにフォーカスが向いてしまうのです。

これが、私の思う日系企業の生産性が低い理由です。

どのように解決していくべきか?

ここに関して明確なソリューションがあったら、こんな記事を書かずにさっさとサービス化しているので、私も色々検討しているのですが、 とりあえず上記のようなマクロな分析を、以下のようなミクロな課題に落とし込んで考えています。

  1. 経営者が、従業員のキャリアパスを設計する難易度が非常に上がってしまっている
  2. 企業の利益と従業員の利益が、互いに相関しない状況が生まれ、モチベーションを保ちにくい構造になってしまっている

私は、上記のような課題に対して、もう少し深掘りして、経営者側のバーニングニーズから現在プロダクトを構想しています。

まずは、事業成長や将来的なリスクに対して、 従業員側が負うべき責任の度合いを大きくすることによって構造的には解決可能なのではという仮説を立てています。

国の方針に関して思うこと

国を挙げてトレンドにしようとしているリスキリングに関して、一技術者として、とても批判的に見ています。

ハードスキル自体は比較的短期間に手に入れることはできると思いますが、 真の人材価値は、長期間にわたって、特定のバイアスで世界を見続けることによって得られる思考回路が本質であると思っているので、 雇用を維持したまま、リスクを負わず、中途半端なプレイヤーを量産したところで、対してインパクトはなく、 せいぜいスクール事業のマーケットサイズを拡大させる程度だろうなと思っています。

そもそもリスキリングしている人材は、価値で言えば新卒と同程度なのに、 基本給を下げることが法律上できないのは、欠陥だと思っています。

まず、リターンを得るためには、リスクテイクするという当たり前のことが根付けば、 生産性は上がるはずだと考えています。

リスクが先立つことによって、成長速度にレバレッジがかかり、本質的な人材育成が可能になると同時に、 そのリスクの種類によっては、短期的に賃金を上昇させることもできるのにと考えています。

まあ、この辺は、マクロなソリューションの話で、 スタートアップ経営者として、とにかくフォーカスすべきは、ミクロな特定の個人のバーニングニーズなので、 今日も今日とて粛々と仮説を考えてはヒアリングを繰り返していきます。

まとめ

Twitterでイーロンマスクが行っている解雇を前提とした、強制的な人材の淘汰と、成果主義への移行は、日本に住む自分としては、本当に新鮮に映ります。

もちろん背後には、辛い思いをしている人も多くいるわけで手放しで称賛するわけではないですが、 国民性として、自己責任が根付いている国では、ここまで大胆で効果的な改革ができるのかと心が躍ったことは確かです。

生産性を上げるためには、リスクテイクさせる必要があることは確かだと思うので、 そのリスクに応じて適切な報酬が分配できる社会をどうにかして作りたいなあと思っております。

イデアがあったらよければこっそり教えてください🙇

twitter.com

新聞を読めるようになりたいあなたへ

起業してから1年くらいの時、会社の社員さんのつてで元JAFCOの起業家の方を紹介していただき、ファイナンス周りのことを伺う機会を頂戴しました。 その時、ファイナンスの知識以外に、毎日、日経新聞を読みなさいという貴重な言葉をいただき、その翌日から日経の電子版に登録しました。

登録してからしばらくは、全然情報が頭に入ってこず、 きちんと読めるようになるまですごく時間がかかったし、誰も教えてくれなかったので、 新聞を意味のあるメディアにできるまでに自分に必要だったことを書いていこうと思います。

なぜ新聞が読めなかったのか?

私が当初、新聞を読めなかった理由は明確です。 読んだ記事が自分の持っている記憶と結びつかなかったからです。

日常的にしているあらゆるインプットには、すべて前後にストーリーがあります。 一つのストーリーとして完結している一冊の本であればもちろんですが、 たとえば週刊誌であれば前後の話であったり、 業務系のtipsの記事であれば日常的に自分がこなしている業務であったり、 少なくとも頭の中に、新しく入ってくる情報と結びつく記憶があるかと思います。

しかし新聞の場合は、丁寧に全ての情報の前後のストーリーが書いてあるわけではありません。 全く知らない会社で、昨日おきた最新の出来事、それだけが切り取られて書かれています。

突然、名前だけしか聞いたことのないような会社のリリースが紹介されたところで、前後関係を知らないので、 その情報は脳の中で収まるべき場所がなく、宙に浮いた情報となってしまい、記憶することはおろか、情報を自分の頭で解釈することすらできません。

それゆえ、新聞を読み始めた当初は、誌面を追うのが苦痛でしかなく、それだけで完結している社説を読むのだけが楽しみでした。

一冊の本と出会う

何となくkindleで本を見ていたら、 以下の本に出会いました。

未来に先回りする思考法 | 佐藤航陽 | リーダーシップ | Kindleストア | Amazon

タイトルはよくあるビジネス書っぽくみえて、胡散臭く感じていたのですが、 とにかく評価が高かったので読んでみました。

結果、最高でした。

簡単にいうと、1ヶ月先とかのミクロトレンドを予想することは困難だけど、 数年スパンのマクロトレンドは、歴史的なトレンドの変遷を理解すると予想できるよという内容の本でした。

新聞が読めないという課題は、自分の中で原因がわからず、クリティカルではなかったので忘れていたのですが、 経営者という立場上マクロトレンドを高精度に予想するのは必須の能力だと感じたため、 少なくとも私が戦うぞと決めている、IT業界の歴史に関してマクロトレンドを掴むため、何冊も本を読みました。

何冊も本を読むうちに、何となくここ50年分くらいのITビジネスの変遷を、 その理由を含めて自分である程度語れるようになりました。 (ちなみにこの時点ではまだ新聞が読めるようにはなっていません。)

ウクライナ侵攻が気になってしょうがなくなる

今年の頭くらいに、ロシアがウクライナに侵攻し、世界はこんなにも不安定だったのかと大きな衝撃を受けました。 どういう理由で、何が起きているのか全くわからないので、今後世界がどう動いていくのかも予想できませんでした。 先ほどあげたITビジネスの歴史では語り得ないことだったので、マクロトレンドを掴むため、そのタイミングで出た色々な新書を買い漁りました。

ここでの読書を通じて、 地政学や、国際政治に関して、ある程度まとまった情報を手に入れたことで、ウクライナ侵攻であったり、 これまで自分が蔑ろにしてきた近代の世界史について自分の頭の中に一つの流れが出来上がってきました。

突然新聞が読めるようになる

そんなこんなしていたら、いつの間にか新聞が読めるようになっていることに気づきました。 正確には、情報を咀嚼するために、自分にはどの知識が足りないかが理解でき、調べればわかる状態になりました。

頭の中にある国際政治のマクロトレンドと、ビジネスのマクロトレンド(主にIT関連)、 今読んでいる情報は、そのどこにハマり、どこに影響を及ぼしうるのかが見えるようになってきたのです。

「確か、今この国ではこんな原因でこんなことが起きていたはず、 それに対応するために、このオーソリティはこういう意思決定をしたのか、なるほど。 だとしたら、次ってあの時みたいにこんなことが起きるんじゃないかな?」

こんな感じで情報が解釈できるようになりました。

一度インプットのコツを覚えたら、新聞は非常に良質なメディアへと変わりました。 フィルターバブルを無視してあらゆる情報を届けてくれる、なくてはならない存在となり、面白くて、いまやTwitterより見ています。

世界を語る言葉を持つということ

自分は、小さな頃から歴史の授業が退屈で、科学や数学が好きな子供でした。 理由は、単純に授業がクソつまらなかったからなのですが、 その理由は今思えば、学んだ歴史が現代につながっていると感じられなかったためです。

上記で語った一連の体験から、 私は、今ある事象を理解し、説明し、次を予測する手段として、歴史の有用性を理解しました。 そして、歴史の実学的側面を知ることで、その面白さに気づきました。

今ふと、高校時代に赤点をとってしまった世界史の先生が言っていた言葉を思い出しました。

「世界を語るために、世界史を学ぶ必要がある」

なるほど、こういう意味だったのかと理解すると同時に、 めちゃくちゃ大きな不満が浮かびます。

おい!!!!!!どう考えても、学ぶ順番が逆だろうが!!!!!!!!!!! 現代から歴史を遡れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
メソポタミア文明に突然興味湧くはずねえだろうが!!!!!!!!!!!!!!!

まとめ

新聞しかり、断片的な最新の情報をうまく解釈するためには、 自分の頭の中に、その情報がはまるためのストーリーを用意しておく必要がありました。

世界史を語り得ぬものに、突然あたらしいページを与えたとて、 その情報をただしく解釈することはできないのです。

とりあえず、何となく興味を持ったトピックを起点に、 必要な分だけ(自分の興味分野の流れをつかめる分だけ)歴史を遡ってみると、新聞を読めるようになると思います。

経営者でなくとも、世界の流れを自分の頭で解釈できるようになることは、 将来の不安を取り除く上でもとても良いものだなと感じているので、是非是非お試しください。

以上です。

twitter.com

個性とは習慣である 〜なぜエンジニアは早口で話が長いのか〜

大学時代の友達が転職をするということで、久々に休みが取れるらしく、11月に京都まで遊びに来てくれることになりました。 その友達のことはずっと気になっていたので、11月を待てず、さっきまで電話をしていました。 その話の中で、自分の価値観が大学卒業時点から180度変わっていたことに気付かされたので、ちょっと言語化していこうと思います。

ハードスキルを信仰していた大学時代

大学時代の自分はとにかくハードスキルを信仰していました。 ものを作れるやつ、コードが書けるやつが一番偉いと考えていました。 人にはそもそも個性なんかないし、不要であり、とにかく汎用的なスキルを身に付けなければ価値なんかないと思っていました。

この価値観自体はある意味では今も変わっておらず、社会に出たこともなくビジネスに対して経験がない学生が、 それでも既存のビジネスでバリューを出すには、基本的には、経験によらない価値、いわゆるハードスキルを身につけるしかないと考えているからです。

少し歳をとって変わったのは、「あぁ、人には個性がある」と感じられるようになり、 ハードスキル以外の価値の部分に本質的な人の価値があるのだと考えるようになったということです。

思考のフレームワークとしてのプログラミング

大学卒業後の自分のキャリアは全てプログラミングと共にあります。 僕はプログラミングのことを、ツールとして以上に思考のフレームワークとして捉えています。

プログラミング言語は、最も明瞭にプロセスを記述することができるツールです。 自分は、物事を理解しようとする時、その物事をプログラミング言語を使って翻訳するという作業を行なっています。 ある物事を考えるときには、プログラムで表現できない限り、その物事を理解したとは思えないのです。 このプロセスを本記事では、「プログラムで考える」と表現しようと思います。

プログラムで考えるとはどういうことか?

私にとって、プログラムで考えるということは、 「あらゆるアウトプットは、そのアウトプットに必要な全てのインプットによってもたらされる」と考えるということです。 これは至極当然のようですが、プログラミングを始めるまでには全く解像度が低かったと感じています。

プログラミングの世界は、現実世界と異なり全ての秩序がコードによって理解できるようになっています。 あらゆる結果には原因があり、インプットのないところからはいかなるアウトプットも出てきません。

何らかの結果をアウトプットとして出したい場合、その結果を計算可能なインプットを余すことなくすべて与える必要があります。 記述されたコード自体は固定的なものであり、自律的に学習などはしないため、 いわゆる「よしなに」ということが不可能で、毎回全てのインプットが必要になります。

AIは学習データを事前にインプットすることで自律的に改善することができますが、そのアルゴリズムは、抽象度をあげれば、どこかのタイミングでは必ず固定的なコードで記述されています。そして、自律的な改善も突然起こるものではなく、これまでのインプットの蓄積の結果なので、結局は同じインプットに対しては同じアウトプットを返すものになっています。 これは、「よしなに」アウトプットするというプロセスを、データから自律的に学習するという、固定的なコードによって表現されているということです。

エンジニアは、よく話が早口で長いと揶揄されます。 それは、ある結論を導くために、それまでに要したあらゆる情報を全て数えなくては、 論理に破綻をきたし、計算不可能になるということを日々業務の中で体感しているため、 話を聞いている側に同じインプットをしようとしているためだと思います。

現実世界で業務マニュアルを作った場合、きっとエンジニアが作るそれは、おそらくかなり冗長なものになります。 そして、エンジニア以外の人が作ったマニュアルに対して、 それが現実には機能するとしても、きっとエンジニアは不満を漏らすでしょう。 「定義が曖昧じゃないですか?」

プログラムで考えることが習慣化した結果

私はすっかりプログラムを使って考えることが習慣化しました。

物事を理解する際には、「カオスから秩序を見出し、一連の処理の流れとして再現性を持たせることができる」という前提を常に持っています。

この前提にハマらないような情報を処理するのはかなり苦手で、 たとえば、大学時代に好きだった、アートやファッションといったものへの興味が年々薄れていっていると感じています。(いずれ再燃するとも思っています。)

あとは、最近引っ越したので、同棲しているパートナーと新しい家具を選んだのですが、 私が家具の見た目へのこだわりは全くないけれど、 とにかく家具の提供する機能にはこだわりがあり、自分は本当に物事のプロセスしか見ていないことに気付かされました。

個性とは習慣である

今の私は、このプロセスに偏重した価値観を持って世界のことを見続けてきた結果、 「インプットがアウトプットに至るまでのプロセスは何だ」を考える回路に脳が最適化されています。

界隈が近く、GOの三浦さんと話す機会が何度かあるのですが、その度に三浦さんは私の持っているものとは、 全く異なるバイアスを通して世界を見ており、それを自分が身につけることは不可能だと感じました。

不可能な理由は、このバイアスを身につけるためには、とにかく時間がかかるからです。 バイアスは、世界を解釈するためのハードスキルを通して蓄積されたインプットを解釈するプロセスのことであり、 三浦さんの場合にはそのハードスキルはクリエイティブであって、私の場合にはプログラミングでした。

バイアスを通して世界を見続けてきた結果、同じインプットに対して異なるアウトプットを行う回路が形成されたのです。 別の考え方をして、プラトン的な立場に立てば、異なるインプットから、同じアウトプットを出す回路が形成されたということです。

自分は三浦さんと比べてまだまだ実績が乏しいですが、不思議なことに、とにかくアウトプットにはめちゃくちゃ共感しますが、アウトプットに至るまでに要したインプットに関して、全く共感できません。多くの場合、なぜそのアウトプットに至ったのか、意味がわからないです。

もっと卑近な例で言えば、東大に入ったとき、勉強法に関して友達と話すと、 そこに至るまでに経た、プロセスやインプットは全然異なるのですが、最終的な方法論はすごく共感できるものばかりでした。

個性とは何か?

私は、個性とはインプットの処理プロセスのことだと考えています。 そしてこのプロセスはインプットによって形成されるため、時間をかけて個々人で異なる回路が形成されていきます。 そしてこの回路は基本的には一つなので、同じ人間といえど変化し続けています。

だから、人それぞれ、同じインプットから全く異なる示唆を得ることができます。

かつての私は、人間の価値をハードスキルで見ていたために、 自分が100人いたら会社はもっと早くうまくいくのにと考えていました。

しかし今は、自分が100人いたら、学習速度が遅くなりすぎてどうしようもないと感じています。

現実世界で多くを最短で学ぶには、多様な個性が必要なのです。

まとめ

雑多に色々書いてきましたが、結局言いたいことは、

  • 個性は時間をかけて育まれるものであるということ
  • 自分の個性を育むためのハードスキルを見つけるべきだということ
  • 多くを学ぶためには、同じものを異なった個性で見ることが重要であること

くらいですかね。また思いついたら書き足します。

私は今28歳です。

この年齢になると、大学の同期たちがそれぞれの会社でのキャリがひと段落して、 あんなに同質だった僕らが、それぞれに個性的になっているんだろうなあと感じています。

最近、自分の会社の売上が落ち着いてきたことがあり、 とにかく大学時代の友人たちにうちの会社にきてよと声をかけまくっているのです。

ハードスキルの観点で、どう貢献できるかわからないと謙遜してくださる方が多いですが、 能力もインプットもほとんど同じだったあなたが、私と別の環境で過ごしたインプットの結果どんなバイアスを得たのかが、私があなたに対して感じている価値です。

私自身の経験がまだまだなので、より一層磨いて、説得力を身につけていくよう努力するのですが、 同じものを見たときに、別の何かを感じてくれれば、学習は高速化し、会社がうまくいく気しかしません。

少なくとも伝えたいのは、一生懸命に世界と関わっていたのなら、絶対に失敗なんてないので、どうかコンプレックスを感じないで欲しいです。 隣の芝生はいつだって青いものです。コンプレックスは同質なコミュニティで生じるだけで、マイノリティしかいない環境では価値のある個性です。

今でなくとも、今の私の会社でなくとも、 いつかそれぞれの個性を持って集まって、みんなと一緒にビジネスをやりたいです。

私自信、お前と組みたいと思ってもらえるように、 とりあえず目の前の課題に全力で取り組んでいきます。

次回は「新聞を読めるようになる方法」を書こうと思います。

twitter.com

インプットとはなんなのか?

Twitterで価値のありそうな情報が流れてくると、勉強になるなあと思っていいねをして、 ついでにリンクをコピーしてSlackでシェアしている自分がいますが、たいてい翌日にはそのツイートの内容は忘れています。

勉強をしようと思って買った本は、とりあえず読み終わることを目的にしてしまって、ページを捲るごとにただ文字を追うだけで、 全く心を動かさないままに読み進めてしまうことがあります。

大学までの学校教育で行われてきた我々の勉強は、絶対的に正しい正解があり、それを教科書や授業を通して学び、 ご丁寧にテストでその理解度までを確認してもらうものでした。

大学を卒業して、就職をせずに、突如経営者になった自分にとって、 インプットは最初にアンラーニングしなくてはならない概念でした。

学生時代には、バイトをしている時間には、「ああ、本を読みたい、今自分は時間を無駄にしている」と思っていました。 バイトは続かず、一番続いても2ヶ月でした。端的に言ってクソ野郎です。 当時、私を雇ってくれた方々には本当に申し訳なく思っています。

大学を卒業して、経営者という立場になった今、学生時代に抱いていた、インプットという行為の高尚さは全く失われました。 明日の生活費が危ぶまれる状態では、悠長にインプットをしている場合ではないのです。 飯の種を探すために、起きている時間はずっとビンビンにアンテナを立て、 目に映るあらゆるものからできるだけ学びを得なくては死んでしまいます。 成長志向というより、単に明日の生活費が危ういので、藁にもすがる思いで今必要な本を読みます。

本を読み終わることではなく、今自分がすべきことを見出すことが本を読む目的になります。 結果として、最後まで読み切っていない本、初めから読んでいない本が大量に家に転がっていますが、 全てを読み切った本よりもずっと多くの情報を得て、実際の行動に影響を与えています。

ある程度会社が安定してきても、競合の恐怖が常に頭によぎります。 日常に余裕がなくなり、自由に本を読める時間も少なくなり、私のインプットの質と量は劇的に上がりました。

インプットは、将来起こるかわからない何かに備える時ではなく、 今目の前にある差し迫った何かに対処しようとした時、最大効率で進みます。

テストの2ヶ月前より、テストの前日の方がインプット効率が段違いでしょう。

なんとなくデザイナーになろうと思ってスクールに通っている人より、 すでにデザイナーとして受注してしまって1ヶ月後に納品しなくてはならない人のスキルの伸びの方が半端ないはずです。

インプットの質は、必要性に大きく相関します。 追い込まれれば追い込まれるほどインプットの質と量は上がります。

コンフォートゾーンの中で、優雅にインプットをすることは、娯楽としては最高で、自己肯定感も高まります。僕にとってもこの時間は必要で重要です。 一方で、何らかの人材価値の向上や、スキルアップのためにインプットを行いたい場合、差し迫ってピンチな奴には勝てません。

若く、他人に対する責任が小さいうちに、 自分のインプットと、そこからの意思決定に最大限のレバレッジがかかる状態に自分を追い込めたことは非常に良かったと感じています。

いいアイデアは、世界を変えようとしている余裕のある人の前より、 来月の家賃をどう払おうか死に物狂いで考えているやつの前に降ってくるようなもんだよなと、 リード・ホフマンのMASTER OF SCALEを読みながら思いました。

サービス業のマクロトレンドについて

サービス業の人材流出が著しいのをご存知でしょうか? 私が現在提供しているサービスは観光業界向けのSaaSなので、お客様との対話の中で身を持って体感しております。

www.travelvoice.jp

主な要因として、私は以下の2つを解きうる課題として認識しています。

  • コロナ禍での営業自粛により、キャッシュフローが止まってしまい、将来に対する不安感が醸成されたことで、IT系のハードスキルに対する信仰が広まったこと
  • 雇用調整助成金などによって働かなくても良い状況が生まれ、相対的に労働のハードルが上がってしまったこと

特に宿泊業界では、人材流出が起こりサービスの供給能力が落ち込んでいた矢先、 全国旅行支援によって、需要が急激に上がり現場の不満は噴出している状態になっています。 多くのサービス業従事者が、デザイナーやエンジニアといったハードスキルを要する職業への転職を目指して、スクール系のサービスを利用しています。

私は、このサービス業の人材不足のトレンドは、 円安によるインバウンドの伸びと、内需の高まりにより、さらに加速していくと考えており、結果的に以下の二つのマクロトレンドを引き起こす(引き起こさざるを得ない)と考えています。

  • サービス業の顧客中心の考え方から、従業員中心の考え方への移行
  • サービス業従事者の人件費の高騰

サービス業の顧客中心の考え方から、従業員中心の考え方への移行

このトレンドは、サービス提供を行う際に必須なヒトのリソースの重要性が高まっているために、必然的なものだと考えています。 従来のサービス業は、マッチングプラットフォームにおける評価という観点が強すぎて、お客様と事業者との力関係に不均衡が生まれていました。 しかし昨今の消費トレンドでは、プラットフォームの評価を参考にしないという消費者も増えてきており、またサービス提供者側もSNS等の発信力を手に入れたことによってこの不均衡が是正されつつあると感じています。

特に、現在のサービス業における、従業員という資源は希少性を増してきているので、 理不尽なクレームなど、精神的負担を強いるお客様に対して、従業員を保護するようなソリューションのニーズが高まってくると考えています。

サービス業従事者の人件費の高騰

人材不足による需給バランスの変化もそうですが、コロナによるリモートワークや休業を経て、労働に対するリターンの期待値が上がっていることもあり、サービス業に従事する人材の人件費は緩やかな上昇トレンドになると考えています。 ここで緩やかなと言ったのは、日本の国民性として、円安により企業物価が上昇したとしても、消費物価を上昇させてはならないという社会通念があるため、 収益効率が上がりにくく、ただでさえ利益率が高いとは言えないサービス業の中で、人件費を上げることは困難だと考えているからです。

しかしながら、歴史的円安という状況の中では、いわゆる低所得者層の賃金を上げないことには、 どう考えても景気回復は困難だろうと思う部分があり、緩やかには上昇していくと考えています。

このトレンドの中で、自分がニーズが高まるだろうと考えているものは、非正規人材の即戦力化に関するソリューションです。 サービス業は、収益効率の大幅な改善を見込むことが難しいことから、全ての従業員に理想的なキャリアパスを提供することが困難です。 SaaSなどのIT系のサービスであれば、事業規模拡大は連続的に行えますが、サービス業でポジションを用意するためには比較的高額の初期投資が必要になります。

こう言った観点から、サービス業従事者の平均的な勤続年数は短くなるはずで、 業務の非属人化と教育コストの低減に大きなニーズが生じるはずと考えています。

教育コストが低減するということは、業務難易度が下がるということであり、 特にハードスキル信仰が強くなっている現代においては、正規雇用の難易度は上がっていくと考えています。

そのため、非正規雇用を中心とした業務スキームが組まれるようになっていくだろうと感じているというわけです。

まとめ

このマクロトレンドの変化は、神の見えざる手だけではなく、積極的な政府の介入もあってもたらされたもので、 どうしようもなく早いなあと感じております。

しかしながら定期的に発生するこの荒波が、スタートアップの存在意義および、イノベーションのジレンマの源泉なので、 より一層気を引き締めて、チャンスを手繰り寄せていこうと考えています。

景気が悪い時に、深い課題が生まれ、破壊的イノベーションが起きるのです。 逆に、景気がいい時には、表層的な課題しか生まれず、やけに金を食うスタートアップが乱立します。

荒波を乗りこなしていきましょう。

twitter.com